●「はづかしき」人々

 仕事で出張すると、たいていの場合、「はづかしき」人々にお目にかかることになる。

 昔、古典で習ったあの意味、「相手が立派で、自分が劣っていることを感じて気おくれするような」人という意味である。

 毎回毎回そんな思いを新たにするので、ほんとにもう、自分はどうしようもないダメな奴だなあと思うのだが、考えてみれば、そんな人たちだからこそ訪問してお話を伺っているという面があって、そんなふうに感じるのは当然だとも言える。

 まあ、私と比べれば、ふつうの人でも、勤勉で才能溢れる、人間愛に満ちた人たちだと思うのだが、ふつうの人とは比較にならぬくらい立派な方々にお会いするのだから、自分の情けなさに落ち込んでも不思議ではないだろう。
 「自分も見習おう」とは思えぬぐらいの高みにいらっしゃる上に、もっと低い位置にいらしたとしても、それを見習う能力のない自分をよく知っている以上、落ち込むか開き直るかしか処方箋はないのである。

 今回お会いしたのは、多言語で用語辞典を作るなど、人に役立つ仕事を無償でこつこつとなさっている元会社員、アジアの楽器の腕はプロ級という、人助けには労を厭わない哲学者、それに、世界選手権に出場するほどのヨットの名手、である。

 ヨットの名手に会いに行ったのではない。地域に根ざしたボランティア活動をサポートするコーディネータを仕事としていらっしゃる女性が、お話しするうちに一流の選手だということがわかったのである。
 もちろん、こちらが聞き出すまではそんな話はおくびにも出さなかった。

 小柄で色白、細面の美人、といった風情の女性だ。私よりいくつかはお若いと思うが、まだ現役だとおっしゃっていた。

 ヨット競技を長年続けていて、どうして色白でなんかいられるんだろう?
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 来週もまた、別のところへ出張して、「はづかしき」人々にお目にかかることになる。

 私自身は再度落ち込んで開き直ることになるのは自明なのだが、「はづかしき」人たちが決して少なくはないというのを知ることは、この世の中に明るさをもたらす救いには違いない。