■トップとの遭遇

 過日、年始の挨拶を兼ねた探鳥会の後、家族で買い物に行った。いつものスーパーだ。

 担当した物品を手に入れ、家人のカゴに入れるべく姿を探していると、黒装束に身を固めたおしゃれなおじさまがちらっと目に入った。
 一瞬、どこかひっかかったものの、その時はそれきりで、また家人探しに戻った。

 話の流れをぶった切って恐縮だが、閑散とした狭いスーパーで、そこにいるとわかっている人間を探すのでもけっこう大変なのが不思議だ。
 中央の通路を端から端まで歩き、交差点?ごとに左右に目を配って往復しても見つからないということもザラである。おそらく皆さんにも経験があるだろう。
 それを思うと、街で誰かと偶然会うということが、どれほど稀有なことか想像できる。

 あ、何となく流れが戻ったかも・・・

 やっと見つけて家人のところに行くと、「○○さんみたいな人が買い物してはるけど・・・」という。「○○さん」というのは、勤務先のトップだ。
 そう言われてやっと気がついた。さっき見たおしゃれなおじさまは、間違いなく○○さんである。
 「たぶんそうやと思うけど、違うかなあ?」と家人。私の方は、もう一度姿を見る必要はなかった。まず間違いない(私の「まず間違いない」はフォーナイン、99.99%である)。

 新聞なんかにもかなり頻繁に出ている有名人なのだが、気づいた人は周りに誰もいそうにない。もっとも、気づいたわれわれも気づかぬふりをしている。

 この場になじんでいるとはとても言い難い風貌だ。何しろ上品で風格があり、おしゃれである。スーパーに一人で来て茹でうどんやネギを買うことが似合うタイプではない(が、実際は買っていらっしゃった。もちろん他にもあったが、しかと見たのはそれだけだ)。

 だがしかし、場違いという感じでもない。何かこう、何をしても絵になっていてかっこいいのである。こういう人にわたしはなりたい(が、もちろん将来的にもとてもなれない)。

 「挨拶しなくていいの?」と家人は言うが、こんなところで挨拶されても先方は迷惑なだけだろう。第一、向こうはまず間違いなく(99.99%ですね)私を知らない。私の方にしても、職場で数回見かけただけだし、同じ会議に出たことは一度しかない(普通は出られない会議に上司の代理で出たからだ)。

 雲の上の人なのである。

 だが、その雲上人も私と同じスーパーで買ったネギを使ってうどんを作るのかと思うと、何だか変な平等社会だという気がする。

 前のトップも、決しておいしくはない職員食堂で毎日お昼を召し上がっていたようだ。外で食べる時間などないのだろう。
 さすがに席は優先的に確保されていたみたいだが、別に特別席というわけでもなく、食べるものはわれわれと同じである。というか、昼食に限れば、私はむしろもっと上等なものを外で食べることも多い。これは、もともとない出世への意欲をさらに減退させるに十分な事実だ。

 あ、そう言えば、今のトップを食堂でお見かけしたことはないなあ・・・ 私の方がお昼時にほとんど行かないからかもしれない。

 それにしても、スーパーに来るのにビシッと決まった格好をしていらっしゃるのはどうしてだろう。茹でたうどんをお求めになったところを見ると、これから別の用事があるとも思えない。

 粋人で有名な方なので、一歩玄関を出るとなると常にきちんとした格好をしていらっしゃるのだろうか。もしかしたら家の中でも。
 メモを見ながら買い物をしていらっしゃったが、お使いに来たという感じではない。もしかして独身だったっけ? 正月で奥様が里帰りでもなさってるのかな?

 どこで誰に見られているかわからず、自分の知らない相手に知られているというのは大変だろうね、と家人とともに同情する。レジが終わってからたまたま隣にいらしたせいもあって、カゴの中身まで顔も知らない部下?に見られているのだ。

 有名な粋人は小粋なヨーロピアンカーに乗って去って行かれた。同じ車の中では一番下のグレードである。以前乗っていらしたこれも小粋なスポーツカーはどうされたのだろう。
 いずれにせよ、今は黒塗りの大型車の後部座席に座って職場に通っていらっしゃるのだろうか。だとすればそれにも同情する。

 だがもちろん、同情など無用だ。職場のトップだからではなく、人間として素直に尊敬と憧れの念を抱かせるような素敵な方なのである。

 できれば一度、ゆっくりお話ししたいものだ。たぶん一生機会はないけれど。