◆ほろ苦い?再会

 スーパーで買い物していると、どうも見覚えのある顔に会った。

 最初の引っかかりはすぐに確信に変わった。名前も覚えているし、筆跡も思い出せる。

 だが、もはや20年前の知り合いだ。十代だった少女も、今ではほとんど同世代である。

 失礼ながら、さすがに体型には少し年が出ているものの、しかし20年の時を経てすぐに認識できるほど顔は変わっていない。家人も後で「若く見えるね」と言っていた。

 先方もこちらもレジを終え、こちらが袋詰めをしている間に店からいなくなってしまったので、本人かどうか結局はわからないかと思っていると、いったん車まで荷物を運んで残りの荷物を取りにまた戻ってきたとき、店内ですれ違う形になった。
 向こうも同じような行動をとっていたらしい。荷物番をしていたのは母親だろう。

 正面から向き合うことになったので、「○○さんですよね」と思い切って言ってみた。ややあって先方も認識したような顔になり、「△△先生ですか?」と言ってきた。

 その名前が即座に私に想起させるのは、恩師の大学教授である。何で△△先生? そもそも共通の知り合いだっけ? 年もぜんぜん違うし間違えるはずがないと思うんだけど・・・と、考えるうち、昔の同僚にも同名の人がいたのを思いだした。ありふれた名前なのだ。

 間違われたことには戸惑いつつも、笑顔で「いや、××です」と答えたが、別に私が誰であっても彼女には関係ない。高校時代の教師の1人であればそれでいいのである。

 優秀な生徒で、確か一流大学に進んだはずだが、今はどうしているのか聞くと、主婦だという。思わず「もったいない」と言ってしまった。ここに書くのも大きなためらいを覚えるほどの大失敗である。

 もちろん褒め言葉としての発言なのだが、そもそも大きなお世話だし、主婦の意義を認めていないみたいだ。本人がどうしてそういう選択をし、また今の自分をどう思っているかもわからない。
 第一、私自身だって、仕事を辞めて(料理をしなくていい)主夫になれたらなあとしょっちゅう夢想しているというのに。

 ここで懺悔しても彼女には届かないのだが、すみませんでした。

 ご主人の赴任先の松山で暮らしていて、たまたま実家に戻っているところだそうだ。
 やはり大学院まで出たという。

 一流大学の大学院を出た主婦って、今どき珍しくないのかな?

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 20年ぶりに会ったとはいえ、覚えられていないだけでもこちらとしては少しショックなのに、馬鹿な発言でさらにほろ苦い再会となってしまった。

 会社員の妻としてのソツのなさからだろうか、「お近くにいらしたときには・・・」と言いかけたので、それにかぶせて「じゃあ、お元気で」という感じで別れた。

 たぶん、もう一生会うこともないだろう。この小さなほろ苦さは解消されない。

 死ぬときには、後悔や苦さをどれほど抱えたままなのだろうかと、ふと思う。