◆日常と非日常、束の間の交錯

 以前勤めていた職場の同窓会総会(懇親会のみ)にお邪魔してきた。初めてのことである。

 あ、こんな書き方をすると学校だということがばれるな。まあいいか、以前書いたような気もするし。

 私が勤めていたころからは想像もつかないような新校舎に建て替えられていたのだが、その設計者というのが、かつて担任していた生徒だったので驚いた。

 挨拶に立った彼は、紛う方なき「新進気鋭の若手建築家」という風貌をしている。ファッションセンスからしてわれわれ(って誰だ?)とはまったく違う。

 ちょっとした感動だった。

 歯科医になっている女性や、研究員をしている男性などにも会えた。前者は新聞で名前を見かけたりもしていた。

 もちろん、かつての同僚・先輩方、なかなかそろい踏みとは行かないまでも、懐かしい顔が多くてひとときのタイムスリップ・非日常を味わえた。

 が、比較的近しかった元の同僚たちは、皆まだそこで働いている。つまりは、昨日もそこで授業をし、明日もまた、朝から授業するその場所なのだ。

 諸氏の心中は察するしかないが、私が同じ立場なら、「せっかくの数少ない休日を職場で過ごさねばならない日」だと感じる可能性は高い。「あーあ、明日もまた仕事か」。

 そう、私にとっての非日常は、現役の方々にとっては日常の延長に過ぎないのだ。懐かしい顔や成長した顔に出会う醍醐味はあろうかとも思うのだが、だからといってそこに新たな出会いがあったり、まして何かが始まったりするわけでもない(と思う)。
 もちろん、「日常嫌い」の私と同じように諸氏が考えていらっしゃるかどうかはわからないけれど。

 かつて、「日常」を変えたくて職場を後にした私も、その後2つか3つほどの別の「日常」の中に暮らしているに過ぎない。3つ目?になる現在の日常は、下手をすると年金暮らしを始めるまで続きそうでもある。
 もはや、次の日常に乗り移る意義も見いだせない。まして、非日常へと漕ぎ出していく覚悟も能力もない。ただひたすら、こまごまとした喜びを日々の中に見いだせればいいなあと夢想するばかりである。

 私にとってのひとときの非日常が日常である方々は、どこに非日常を見いだしていらっしゃるのだろう。あるいはもしかすると、別に非日常なんて必要としない、強い精神力をお持ちなのだろうか。