■欠陥商品?

 枯れ木と枯れ葉の中に小鳥を探しながら、双眼鏡の左右の視度調整をしていた。まず、左で覗いてピントを合わせ、次に右で覗いて視度調整リングでまたピントを合わせる。これで、左右で視力が違っていても両方きちんとピントが合うようになる。

 が、どうも違和感が残る。もともと左右の視力差は微妙だから、なかなか調整が難しいのだ。でも、今日はそれではない。

 なんと、右目で覗くと景色が緑がかって見え、左目で覗くと茶色がかって見える。ちょうど、画像処理ソフトで色調補正をする前と後の写真のようだ。
 もちろん、双眼鏡というのはあるがままの色を見せてくれるのが理想なのだが、機種によっては黄色みが強く見えたり、青みが強く見えたりすることもある。それが「味」になっているようなものもあるぐらいだ。

 だが、左右で「味」が違っていたのではお話にならない。購入して日が浅いとはいえ、どうして今まで気づかなかったんだろう? 楽しいはずの初めての探鳥地行が一気にブルーになった。

 ややあって、まだ十分に保証期間内だから、これは欠陥品として無償修理してもらえるだろうと思い直した。しかし、また例のコンプリケイティッドライフである。手間暇を考えると沈んだ気分は救われない。

 何度確認しても左右で色が違って見えるのは間違いない。が、ふと思い立って、双眼鏡の左右を逆にして覗いてみた。すると、なんということだ。やはり、右目で覗くと景色が緑がかって見え、左目で覗くと茶色がかって見えるのである。

 ほんの少し混乱する。双眼鏡の上下を逆にしているということは、左右も逆になっているということだ。間違いない。
 なのに、さっき景色を茶色に見せていた同じレンズが、今度は緑に見せている。ありえない。ということは、双眼鏡のせいではないのだ。

 次に疑ったのは眼鏡である。これも双眼鏡に劣らず複雑なコーティングをしているので、色に影響しているという可能性もある。もしかすると、眼鏡と双眼鏡の相互作用によるいたずらかもしれない。それにしても、どうして今まで気づかなかったんだろう?

 だが、眼鏡も犯人でないということがわかった。とすると、残る光学系は「肉眼」のみである。

 眼鏡を外してもちろん双眼鏡も覗かず、ぼやけた景色を前に左右での見え方を確認する。やはり、右が緑、左が茶色だ。
 何のことはない、「わが目を疑う」べきだったのだ。欠陥品だったのは自分の目である。

 こうなってしまうと、いったい「ほんとうの」色はどんな色なのか判断することは不可能だ。もともと、誰がどんな色を見ているのか、誰にも判断することはできない。

 それにしても、この時点でほっとしたのは我ながらおかしかった。買ったばかりの双眼鏡の見え方がおかしい方が、自分の目に欠陥があるよりも心理的負担が重いのである。

 話はここで終わらない。

 その後、左右の見え方を気にしながら、ハイキング道を稜線へ向かって登っていった。上で休憩となり、近くの土手を見ていると、今度はさっきと逆なのだ。右が茶色、左が緑である。

 ない知恵を絞って考える。これは一体どういうことなのだ?
 その時の結論は、「瞳孔が開いているときは右が緑、狭くなったときは右が茶色」だった。下では暗いところを見ていたのだが、今は明るい光の下にいる。
 あるいは、山道を登って汗ばむほどになったので、血流の関係で症状が変わったのかもしれない。

 ・・・そうこうしているうちに、症状がなくなってきた。昼食を取ったころから、左右の色が違うという経験は記憶にない。

 しかし、今こうしていても、モニタの色が、ほんの少し、左の方が緑がかって見える。まあ、「気のせい」と言えないこともないレベルだ。あのときは明らかにそうではなかった。

 ネットで調べても、芳しい結果は得られない。変な病名が付いてもそれはそれで困るんだけど、原因不明というのも気持ち悪いものだ。
 眼科医の作っているウェブサイトにやっと似たような症状を見つけたが、結論は「様子を見ましょう」ということのようである。大したことはなさそうでほっとする反面、何だか物足りないような気もする。

 ノスリを見分ける自信が出てきた。そうか、ノスリ斑って言うんだ。
 ウソを初めて見られた。しかもじっくりと。
 トラツグミが木の枝に止まり、傾きかけた日を浴びて明るい黄色に輝いていた。こんな綺麗な色をした鳥だったんだ。

 自分の目への自信がまた一つなくなったこととあわせ、初めての探鳥地は思い出深いものとなるだろう。

 こんな経験をした日に見たからといって、ウソのピンク色やトラツグミの黄色を疑ったりはしない。もともと、色というもの自体、脳が作り出した幻影であると同時に、個々人の実感に支えられた確信そのものであるのだ。