●縁遠き死が

 明日死ぬ今日死ぬ今死ぬ・・・と思うような性格であるが、しぶとく死なない。

 それどころか、これまでの長い?人生を死とほとんど無縁に過ごしてきた。幸い、というべきだろう。

 生まれてからこれまで、主観的に親族だと思っている人たちの中で、死んだのは祖母一人のみである。大往生とは行かないが80代半ば、仕方ないと言えば仕方ない。

 印象に残っているのは、幼いころに可愛がってくれた近所のおばさんの娘さんが交通事故で亡くなったこと。私は二十歳ぐらいだった。亡くなった娘さんはおそらく30代だろう。初めて身近に経験した理不尽な死である。
 そのおばさんのご主人も亡くなっている。これはまあ、高齢になってから。

 初めて勤めた職場の同僚の一人が、おそらくは風邪をこじらせたことが元で亡くなったのには驚いた。よくは知らない方だったが、おそらく30代だったろう。

 もう一つ理不尽だったのは、同僚の配偶者で大学時代の同級生がこれも30代で亡くなったこと。職場で一報を聞いてしばし茫然としてしまった。

 以上のような経験はあるものの、曲がりなりにも「友人」と呼べるような人が亡くなったのは今回が初めてのことだ。何事にも初めてがあるとはいえ・・・

 死だの何だの、ふとんの中でつらつら考えていると、妙な考えがふと頭をよぎった。

 「私が生まれたときに生きていた人々の、おそらく半分以上はもうこの世にいない」

 自分自身が人生の半ばを迎えているのだから、これは当然のことだ。世界の平均寿命を考えれば、もしかしたら3/4以上の人がもうこの世にいないかもしれない。

 主観的には身近で、実際には縁遠かった死が、少しずつ周囲を取り巻いてくる。


 ほっとみるくの甘みやさしき秋の夜 ひゃくねんたったらだあれもいない


 今、長く長く続く遠雷を聞いた。遠雷は続き、雨が降り始める。